【中学受験】憂国者は同時に愛国者でもある??

 
ロシアがウクライナに進行し、戦争になりました。
中東・アフリカには、現在でも戦争状態の国がたくさんあります。
例えば、
 
アフガニスタン
シリア
リビア
トルコ
イエメン

 
などです。
 
 
日本は直接戦火の中にいる時期は、
この70年ほどはないわけですが、
同じ地球に暮らす人間として、
痛ましいことだと感じています。
 
平和が一番です。
 
 
さてちょうど、「らんたん」という小説を読みました。
(WisardのInstagramでは、過去問の解説動画の紹介と、
小学生向けの書籍の紹介をしています)
 


 
女性の権利の伸長にフォーカスした、大河小説です。
主人公は恵泉女学園の創始者、河合道先生です。
とても面白い作品なのですが、
その中にこんな一節がありました。
 

「そうそう、新渡戸稲造はいつもこう言っていたものです。
 
愛国者とは常に憂国者でもある、と。
 
もちろん私は日本は大好きですが、
同時に改善しなければいけない点、
反省すべき点が山のようにあることも知っています」

 
 
僕はいわゆる「愛国者」らしき精神性は、
まったく持ち合わせていません。
ただ、「憂国者」ではあります。
逆に言うと、そういう意味では自分も
「愛国者」なのかもしれないなー、と思いました。
 
 
Wisardの卒業生を初めとする、
自分よりも下の世代が、
安心して豊かな生活を送れる未来が来てほしいと心から思っています。
 
ですが、果たしてきちんとそうなるのだろうか、
と不安にも思っています。
(そう感じている人は、ものすごく多いのではないでしょうか)
 
そして、「みんなと同じであれば幸せになれる」時代はすでに終わっており、
「みんなと同じでは幸せになれない」時代が来ていることは、
確定的だとも思っています。
 
 
現在の日本には、
 
ある程度平等なチャンスがあり、
みじめな人生を送る自由も、
誇り高い人生を送る自由もある、はずです。

 
これは決して当たり前のものではなく、
上の世代の方たちが勝ち取って、
我々の世代に渡してくれた環境です。
 
それを我々が下の世代にしっかりと受け渡すことができるだろうか、
という不安はとても大きいです。
 
 
個人ができることは、
まず
 
幸せに生きられるだけの
実力をつけること

 
です。
 
これしかありません。
 
自分の面倒も見られない者が、
他人のお世話ができるはずがありません。
 
 
小学生が通う教室を運営するサイドとして、
まずみんなが実力をつけ、自由な未来をつかんでほしい、
その中で、多くの人を幸せにできる人がでてきてほしい、
そう思っています。
 
 
ちなみに、
少年時代から大好きだった小説のセリフ、
 

「司令官ののヤン・ウェンリーだ。
皆そのまま聞いてほしい。
まもなく戦いが始まる。
ろくでもない戦いだが、それだけに勝たなくては意味がない。
勝つための算段はしてあるから無理をせず気楽にやってくれ。
 
かかっているのはたかだか国家の存亡だ。
個人の自由と権利に比べれば大した価値のあるものじゃない。
それでは、皆そろそろ始めるとしようか」

 
というセリフが、僕の国家観の土台になっていますね。
 
 
平和で豊かな時代。
なんとか維持して、次の世代に渡したいものです。
 
 
 
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