【中学受験】SAPIXでの思い出 1(イントロダクション編)

 
10年近く前に、こんな記事を書きました。
 
【中学受験】SAPIXの霜山先生(イモ)
 
自分が大きな影響を受けた、
SAPIXの初代塾長/社長、霜山先生についての文章です。
 
 
SAPIXで先生として入社してから、
お会いする機会がなかったことはとても残念でした。
 
もしもお会いしたら、いまでも先生の授業を忘れていないこと、
あの授業がなかったら、いま自分は全然違う人生を送っているであろうこと、
先生のような魅力ある授業をしたいということを
いつも念頭においている、ということを
お伝えしたいと思っています。
 
まあ、そんなことをお伝えしても、
先生のことですから、
さぞかし迷惑に思われるでしょうが(笑)
 
 
さて、突然こんなことを記事にしているのは、
先日このブログに、
その当時のSAPIXを知る方からコメントをいただいたことがきっかけです。
 
書いていただいたのは、以下のようなことでした。
(WEB上で読みやすいように、一部を改稿しています)
 

突然に失礼します。
常日頃、過去問解説などで助かっていますので、
ひと言御礼を兼ねてコメントさせていただきます。
 
 
かつて神奈川県の中高一貫の学校に勤務しましたが、
その後SAPIXとご縁があり、
ちょうど地下鉄のテロ事件のある前後5年ほど
勤務していたことがあります。
 
はじめ講師で応募したのですが、講師の管理が進んでいないとの理由で、
管理本部のT氏の元、人事に身を置いていました。
これまたすぐに講師研修を充実させたい、
との人事部を統括する吉原副社長のご指示で、
人材開発課長としてやってくれ、ということになりました。
 
 
学生講師の研修から始まり、
やがて社員講師の研修・受付の女子社員研修・役員研修もお手伝いしました。
しかし次第に何でも屋のようになってしまい、
生徒の座る椅子に釘が出ていないか、
トイレが清潔に保たれているか点検して回るなど、
いろいろな用事も仰せつかりました。
 
当時は馬喰町から人形町にかけて飛び飛びに散らばる日本橋本校以外には、
南浦和・西船橋・横浜・荻窪の各校舎があるのみでした。
 
馬喰横山の日本橋校受付のある校舎ビルの上階(通称「奥田棟」)と、
向かいのビル(同「吉原棟」)の両方に仕事用の部屋を用意していただき、
入って2ヶ月ほどで随分贅沢な環境を提供された、と当時驚いたものです。
 
霜山社長や奥田取締役の部屋にも出入りし、
いろいろお手伝いし、大事な会議には出て記録をとっていました。
当時、自由が丘校や練馬校を立ち上げるときで、総務の方といっしょに、
コピー機や机の配置など決めて回ったことも良い思い出です。
 
そういうわけで、時期が重なっていれば、下校時などに、
小学生時代の阿部先生とすれ違っていたり、
一瞬同じ空間にいたこともあるかも知れません。
 
 
霜山社長はまことに職人気質の方で、
あるアイデアを思いついて時間がかかりそうなときは、
建物内階段の踊り場の水平面が少しでも大きいところを探しては、
毛布にくるまってひと晩泊っておりました。
それくらいお仕事が好きなのだろうと思いました。
 
ちょっとしたメモを残したりダンボール箱に名前を書いたりするときには、
「下山」と書かれていました。
霜は画数が多いので字が潰れてしまうから、
と話されていました。
 
頼まれて日本橋三越で弁当を買ってきますと、
これ、なかなかうまいね、などと言われていたのも思い出します。
奥田先生の元には、元SAPIX生の大学生の講師がよく出入りし、
指導の方法などアドバイスを受けておりました。
先生にはよく食事に誘われ、ご一緒させていただきました。
 
 
阿部先生のオーラには、
当時のSAPIXのそうした雰囲気がそのまま感じられます。
WISARDNETを直接応援することはできませんが、
受験生本人や保護者の方々以外にも、
私のような人間も拝見しております。
 
他の塾や解説などに対する阿部先生の認識は、
細かいところまで私に近いものがあります。
 
 
講師であると同時に経営する立場にあり、
気にかかることも多いでしょうし、
いろいろな意味で責任も重大と思われますが、
阿部先生ならうまくこなしていかれるでしょう。
 
今後の一層のご繁栄を祈念しております。
今後ともお世話になります。
失礼いたしました。

 
 
実際に授業を受けたことのある懐かしい先生がたの名前や、
当時新興の学習塾で吹けば飛ぶような存在でしかなかった
SAPIXのスタートアップに際し、
スタッフが奮闘していた様子が伝わってきます。
 
 
イモたちも、自分の人生を賭けて戦っていたんだ、
ということが感じられる文章を読ませていただき、
何とも言葉では表せない気持ちになりました。

 
 
SAPIXは今や首都圏では最大手の教室の一つとなり、
今後もしばらくは隆盛が続くはずです。
 
ご存じの通り、SAPIXは2010年に代々木ゼミナールに買収され、
一部の方を除いて創業者の方々は会社に残っていません。
僕が勤めていたのはいまの体制になる前ですので、
せっかくですから、当時の思い出などを何パートかに分けて、
これからブログ記事を書いて残しておきます。
ご興味のある方はご一読ください。
 
 
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2 件のコメント

  • SAPIXでの思い出 1~3、拝読させていただきました。昨日気が付いたもので、ご返信が遅れました。拙文を引用していただき恐縮に思います。大変ありがとうございました。
    こちらの塾は1対1ですが、7月中旬から最近まで、いわば夏の講習とでも言えるような追加授業の嵐でした。6年生のなかで一人、まだ伸びしろがあるなと思われる生徒がいて、参考のため、先ほどまで先生の海城中学の解説動画(2024年度第2回)を拝見していました。本命は芝浦工大附属中なのですが、首都圏模試でもまだ60%で、もしかしたら志望校変更になるかも知れません。
    阿部先生の解説は、Bランクの設定が適切と思っています。この判断はかなり勇気のいることかも知れません。でもそのA~Cの分類が皆さんの役に立っていると思います。また、解説を、紙にマジックで書かれていることやそのときの音、そして先生の声も、何気ないけれども解説の快調さに寄与しているなと思いました。
    今後もSAPIXの血脈を継ぐように意識され、お仕事されていってください。

  • >香坂さま
    コメントありがとうございます。
    自分ではサピックスの初期の魂を受け継いでいる、
    と思っているので励ましが心に響きます。
    いつか霜山先生に及ぶように、頑張りたいと思っています。

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