【中学受験】SAPIXの霜山先生(イモ)

 
突然ですが、今回は僕が強く影響を受けた先生のことを書こうと思います。
 
SAPIXの初代塾長 霜山先生。
 
僕が知る限り、最高の算数の先生です。
「カリスマ講師」という表現がピッタリの凄腕の先生でした。
僕も中学入試の算数を生業としている以上、
この分野においては天下無双でありたいと思っています。
ですがあの人に並ぶことはできても追いこすことは絶対にできない、
いまだにそう感じるくらい素晴らしい授業をしてくれました。
もうサピックスには籍がないと伺っているので、伝説レベルの先生ですね。
霜山先生の授業で成長した「霜山」チルドレンはとんでもない人数のはずです。
 
 
見た目はちょっと小柄なずんぐり体型、
さらにちょっと髪の毛がさみしいこともネタにする先生で、
もう動いているだけでユニークなオーラがにじみ出ていました。
あだ名は「イモ」(笑)
 
 
サピックスのイモ
 
ですが何と言っても授業が本当に面白かったんです。 
すごくよく覚えているのは、手も足も出ないような難しい問題でも、
解説のスタートはいつも
 
「おまえたち、
こんな問題、
カンタンじゃないか!」

 
だったこと。
そしてその後の火花散るように鮮やかな講義。
 
子供ながら
「何だかほんとに簡単に思えてきた!
うわぁーこの先生、ヤバい!」
と思ったことを覚えています。
  
 
「アベ、お前はバカだな。
そんな問題、式だけで解けるわけがないだろう。
図を描け!
自分のアタマを使いやすい形にするんだ」
そう怒られたこともよい思い出ですし、
逆にごくたまに褒められた時はすごく嬉しかったものです。
  
 
サピックスで新人だった時代、
同僚の先輩に霜山先生のような授業をしたい、と話したことがありました。
その時にこんなことを言われました。
 
「阿部先生には先生なりのやり方がある気がします。
無理に模倣することはないでしょう。
霜山先生も、教え子が自分を目指すことなんて望んでいないはず。
自分なりのアプローチを考えて、
同じくらい優れた先生を目指したらどうですか?」
 
 
これがとてもしっくりくる言葉で、今も頭に残っています。
僕はイモにはなれませんが、
僕にしかできないことだってきっとあるでしょう。
それを忘れずに、ずっと向上していたいですね。
 
 
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2 件のコメント

  • 突然に失礼します。常日頃、過去問解説などで助かっていますので、ひと言御礼を兼ねてコメントさせていただきます。
    阿部先生の問題解説などが私にとってはとてもスムーズな解法とお見受けし、現在小さな某塾で英語・古文・現代文以外に小学4科(特に算数)の指導をしている私には、とても役に立ち、また、手のかかる問題であってもその解法の手際よさなどを拝見し、日常の自身の頭の訓練に最適なものとなっております。
    かつて神奈川県の中高一貫の学校に勤務し、担任はじめ学年副主任も務めましたが、その後サピックスとご縁があり、ちょうど地下鉄のテロ事件のある前後5年ほど勤務していたことがあります。はじめ講師で応募したのですが、講師の管理が進んでいないとの理由で、管理本部のT氏の元、人事に身を置いていたのですが、これまたすぐに講師研修を充実させたいとの人事部を統括する吉原副社長のご指示で、人材開発課長としてやってくれ、とのことだったので、学生講師の研修から始まり、やがて社員講師の研修・受付の女子社員研修・役員研修もお手伝いし、しかし次第に何でも屋のようになってしまい、生徒の座る椅子に釘が出ていないか、トイレが清潔に保たれているか点検して回るなど、いろいろな用事も仰せつかりました。当時は馬喰町から人形町にいたりとびとびに散らばる日本橋本校以外には、南浦和、西船橋、横浜、荻窪の各校舎があるのみでした。馬喰横山の日本橋校受付のある校舎ビルの上階(通称「奥田棟」)と、向かいのビル(同「吉原棟」)の両方に仕事用のへやを用意していただき、入って2ヶ月ほどで随分贅沢な環境を提供された、と当時驚いたものです。霜山社長や奥田取締役の部屋にも出入りし、いろいろお手伝いし、大事な会議には出て記録をとっていました。当時、自由が丘校や練馬校を立ち上げるときで、総務の方といっしょに、コピー機や机の配置など決めて回ったことも良い思い出です。
    そういうわけで、時期が重なっていれば、下校時などに、小学生時代の阿部先生とすれ違っていたり、一瞬同じ空間にいたこともあるかも知れません。
    霜山社長はまことに職人気質の方で、あるアイデアを思いついて時間がかかりそうなときは、建物内階段の踊り場の水平面が少しでも大きいところを探しては、毛布にくるまってひと晩泊っておりました。それくらいお仕事が好きなのだろうと思いました。ちょっとしたメモを残したりダンボール箱に名前を書いたりするときには、下山」と書かれていました。霜は画数が多いので字が潰れてしまうから、と話されていました。頼まれて日本橋三越で弁当を買ってきますと、これ、なかなかうまいね、などと言われていたのも思い出します。奥田先生の元には、元サピックス生の大学生の講師がよく出入りし、指導の方法などアドバイスを受けておりました。先生にはよく食事に誘われ、ご一緒させていただきました。
    阿部先生のオーラには、当時のサピックスのそうした雰囲気がそのまま感じられます。WISARDNETを直接応援することはできませんが、受験生本人や保護者の方々以外にも、私のような人間も拝見しております。他の塾や解説などに対する阿部先生の認識は、細かいところまで私に近いものがあります。講師であると同時に経営する立場にあり、気にかかることも多いでしょうし、いろいろな意味で責任も重大と思われますが、阿部先生ならうまくこなしていかれるでしょう。
    今後の一層のご繁栄を祈念しております。
    今後ともお世話になります。失礼いたしました。

  • >Kさま
    コメントありがとうございます。
    書いていただいた言葉へのなつかしさや、心に残っているお世話になった先生がたへのあこがれに、震えるようでした。
    しばらくしたら、ブログにアンサー記事を書かせていただきます。

    ※お名前だけ、イニシャル表記にさせていただきました。

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